新潟市曇り
曇り空の新潟は、輪郭が少し曖昧になる。
光が強くない分、身体の感覚が内側に戻ってくる。
こういう日は、外に向かうというより、
自分の身体の構造に気づきやすい。
身体は、自分でコントロールしているようで、
実はほとんどコントロールできていない。
姿勢を正そうとしても戻るし、
呼吸を整えようとしても続かない。
それは意識の問題ではない。
構造の問題だ。
人の身体は、無意識に身についた使い方で動いている。
どこに軸があるのか。
どこに体重が乗っているのか。
膝が伸びているのか、柔らかいのか。
それらはすべて、日常の中で形づくられている。
つまり、身体は個人のものではなく、
文化の延長にある。
例えば、新潟という街。
雪が降る。
風が吹く。
湿度が高い。
その環境の中で、人は自然と身体の使い方を変えていく。
滑らないように歩く。
冷えないように呼吸する。
重心を下げて安定させる。
環境が身体をつくる。
本来、身体技法は生活の中にあった。
歩くことも、しゃがむことも、
働くことも、休むことも、
すべてが身体を整える行為だった。
しかし現代では、それが分断されている。
歩くことは移動になり、
座ることは固定になり、
運動は特別な時間になった。
結果として、身体はバラバラになる。
だから、どれだけトレーニングをしても、
どこか噛み合わない。
部分は変わっても、
全体は変わらない。
身体は部品ではないからだ。
最近、ひとつ実験をした。
準備2日、ファスティング3日、回復3日。
合計8日間の調整。
体重は4kg落ちた。
ただ、今回見ていたのは数値ではない。
身体の“反応”だ。
トレーニングは止めていない。
頻度も変えず、強度だけを70%に落とした。
そこで見えてきたのは、
「減らすことで戻る身体」だった。
まず、腹部。
少し固さが残っていた部分が、
明らかに柔らかくなった。
脂肪が減ったというより、
内側の緊張が抜けた感覚に近い。
次に、肩と腰。
軽く張りが出ていたが、
それが自然と消えた。
無理にほぐしたわけではない。
むしろ何もしていない。
余計な刺激を減らしたことで、
身体が勝手に戻った。
目の疲れも同じだ。
視界がクリアになるというより、
“疲れている状態”が消えていく。
神経のノイズが減ったような感覚。
さらに、鼻炎。
これも自然と抜けた。
薬を使ったわけでもなく、
特別な処置もしていない。
ただ、炎症の元を減らしただけだ。
今回改めて感じたのは、
身体は「足す」ことで変わるのではなく、
「引く」ことで戻るということ。
トレーニングも、
食事も、
情報も、
現代は“多すぎる”。
新しすぎるもの。
刺激が強すぎるもの。
過剰に与えられるもの。
それらが身体を前に進めているようで、
実はズレを生んでいる。
ファスティングは、
そのズレを一度リセットする行為に近い。
重要なのは、
体重が落ちたことではない。
身体の感覚が戻ったこと。
呼吸が深くなる。
腹部が柔らかくなる。
関節の抵抗が減る。
それはすべて、
“本来の位置に戻った”というサインだ。
SACO WORKOUT WELLは、
この分断をつなぎ直すための場所として存在している。
鍛える前に、整える。
強くする前に、戻せるようにする。
呼吸、姿勢、歩行、感覚。
それらをひとつの流れとして扱う。
身体は常に揺れている。
疲労もあるし、炎症もある。
年齢も重なっていく。
その中で、また戻れるかどうか。
それが、身体の本質だ。
多くの人は強さを求める。
もっと重く、
もっと速く、
もっと多く。
けれど本当に必要なのは、
戻れる能力。
崩れても戻れる。
乱れても整えられる。
疲れても再構築できる。
それがシステムとしての身体。
SACOでは、
パーソナルトレーニング、
パートナーストレッチ、
ファスティング、
カフェ、
そして柔術。
一見バラバラに見えるものを、
すべて身体というひとつの軸でつないでいる。
ここは、パーソナルジムであって、
パーソナルジムではない。
トレーニング施設であって、
トレーニング施設ではない。
身体を鍛える場所ではなく、
身体を思い出す場所だ。
2005年、オーストラリアで学び、
2014年に始まり、
今に至るまで、選び続けてきた。
流行ではなく、
身体にとって必要なものだけを。
歳を重ねるように、
システムは整えられてきた。
曇りの新潟で、
今日も身体を観察する。
呼吸はどこにあるか。
重心はどこにあるか。
軸はどこにあるか。
身体は、意識では変わらない。
環境と習慣で変わる。
もし今、何かが噛み合っていないなら、
それは努力の問題ではない。
身体の使い方の問題だ。
そのことに気づいたとき、
身体は少しずつ戻り始める。
SACO WORKOUT WELLは、
その“戻る”をつくる場所です。
迫慶太







